カタリスト

思考を暗所で常温保存

エヴァンゲリオンとウルトラマン

 
ウルトラマンっていますよね
 
M78星雲出身で
銀を基調に赤をアクセントに使ったファッションでおなじみですけど
 
彼のモデルのひとりが観音様という話しは初めて知った時は衝撃的でした
(初代ウルトラマンの口元はアルカイックスマイルを意識してるそうです)
 
で若干昨日の内容の続きになっているのですが
もはや今の日本で知らない人はほとんどいないのではないかと言われる
アニメ作品、エヴァンゲリオンウルトラマンの関係の話を
今日はしていこうかと思います
 
たまにエヴァンゲリオンに関する独自の見解についてアツく語ったのち
エヴァンゲリオンは神話だよ、設定の深さが全然違うからね」
といったことをドヤ顔でおっしゃる方がいたりするのですが
(いつぞやの自分含め)
 
エヴァンゲリオンのそもそものはじまりは
庵野秀明監督の
『アニメでウルトラマンがやりたい』
の一言だったそうです
 
庵野さんはマニアレベルのウルトラマンファンで
毎日鏡の前でスペシウム光線のポーズをとっているという話しは
一部では有名だったりするのですが
 
庵野秀明の名前を有名にしたのも
大学時代に仲間内でとった通称『庵野ウルトラマン』という特撮の評価が大きく、その中で庵野さんは自分がウルトラマンになって怪獣を倒してたりもします
 
実際に庵野秀明監督がスペシウム光線のポーズをしている写真をみると
子どもがおふざけでやっている感じではないんですよね
もう完成された型のような風格があって
(あ、これはスペシウムそろそろ出るな)
という感覚さえ持ちます
 
そのことを前提としてみると
エヴァンゲリオンってほんとうにウルトラマンなんですよね
 
戦う敵、使徒は怪獣をそれっぽくしたもので
アンビリカルケーブル分断で発生する活動限界というのは
つまるところカラータイマーですよね
「巨大な正義の味方には活動時間に限界がある」という発想が
庵野さんの中には確かにあるようです
 
製作を手がけるアニメ製作会社「カラー」のロゴが表示される際も
ウルトラマンが変身する時の音が流れていて
 
「カラー」という会社名にはカラータイマーの意味も
含んでいるのかなと思いました
 
そしてNERVは科学特捜隊ですよね
元々、庵野さんがエヴァンゲリオンを作ろうと思った動機のひとつが
 
科学特捜隊のような、世界を救うための組織が実在するとしたら
その内部の人間関係ってどうなってるんだろう」
 
という素朴な疑問だったそうで、そこからNERVが生まれたようです
 
だからNERVの人間模様はリアルでドロドロなんですね
 
赤木親子の話なんかは子どもながらに見てる時
「うわぁ…」
と思ったんですが
あそこがメインで描きたかったところのひとつでもあったようで
道理で力が入っていたなと思います
 
新劇場版だと省略されてしまいましたけど
あのウイルス型の使徒イロウル」との対戦は面白くてお気に入りです
 
庵野さんのもうひとつの原点が『風の谷のナウシカ』なんですよね
 
スタジオジブリではじめて描いた絵コンテが「巨神兵」だったそうで
エヴァ使徒のイメージは巨神兵からも影響を受けているそうです
 
その庵野監督が去年の7月から東京都現代美術博物館で開催していたのが
『館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技』
という展覧界で
巨神兵含め、特撮に使用されたミニチュアたちを展示し、円谷英二からはじまった日本の特撮技術の素晴らしさを紹介されていました
 
庵野さんって飄々としていて人を食ったような印象もあって
あまり何かをアツく語ったりするのを僕は見たことなかったのですが
特撮博物館』のセレモニーで、司会者から最後に一言と振られた際に
ものすごく真剣に特撮についての自分の思いを語るんですね
 
政府の役人方からしたらゴミみたいなものという扱いを受けているけど
日本の特撮というのは本当に尊い技術で、だけどミニチュアを作る技術も
職人技だから、今まさにその技は絶滅しようとしている、
という話を庵野さんはとつとつと語っていて
 
本当に特撮が好きなんだな、特撮、大事に残していかなくてはな
と思いました
 
CGで特撮は不要になっていくみたいな話ありますけど
ゴジラのハリウッドリメイク版『GODZILLA』とか観れば
いかに日本の特撮に味があって
CG一辺倒の映像が薄く感じられるか体感できるのではと思います
(『GODZILLA』がクソなのはその理由だけではありませんが)
 
二回続けて特撮特撮言ってただけになってしまいましたが
特撮作品、特に円谷英二の手がけた作品って魅力にあふれているので
機会がありましたらぜひご覧いただければと思います

 

追憶、買います

 

 

トータル・リコール』ってありますよね

 

1990年に公開されたアーノルド・シュワルツネッガー主演の名作SF映画で

フィリップ・K・ディックの『追憶売ります』というSF小説が原作なんですけど

 

僕はこの作品の存在を知らずに

先日仙台駅の東口でふらふらしていた時に、ちょうど「チネ・ラヴィータ」で

トータル・リコール』のリメイクVerが上映されていて

お、SF映画か、これはよいと思って鑑賞しました

 

このリメイク版、興行収入的にはあまりふるわなかったらしく

あとで確認したところネットでもあまり評判は良くなかったりするのですが

基本映画は評判を一切観ないで鑑賞する派なので

個人的にはわりと楽しめました

 

21世紀末の世界大戦によって荒廃した世界が舞台で、

富裕層は現在で言うヨーロッパの地域にある「ブリテン連邦」に

貧困層は現在で言うオーストラリアの地域にある「コロニー」にそれぞれ住んでおり

その間には地球を貫通させて通した巨大エレベータ通称「フォール」があり

貧困層はそのフォールによってブリテン連邦に出稼ぎ労働をしています

 

この設定自体、

「そんなエレベーターそれだけの人口でどうやって掘ったの」

とか

「地球のコア近く通ったらえらいことになるだろ」

とか

わりとツッコミどころはあるなぁとは思うのですが

 

昔読んだ手塚治虫の『地底国の怪人』という漫画の中で

飛行機事故で父を失った主人公が「飛行機に頼らない交通網をつくるんだ」といって

「地球トンネル」というのを文字通り地球の裏側まで通すという場面があるんですが

その劇中では

新幹線のような形状の採掘機で地底をどんどん掘っていき

ある程度経つと

 

「暑くなってきたな…でも頑張るぞ!」

「中心近くだから土が固いけどもう少しの辛抱だ!」

 

くらいでけっこう難なく地球を貫通させていて

この映画もそんな感じなのかもしれないなと思いました

(ただこれをもう60年も前に描いている手塚治虫ってすごいなと改めて感じます)

 

でこの映画のタイトルが示す通りこの映画の肝は別のところにありまして

 

同じ女性が登場し一緒に逃亡する夢を毎晩のように見ながらも

労働者として美しい妻と不自由なく暮らしていた主人公クエイドは

「どんな記憶でもお売りいたします」

というリコール社の広告に興味を示し、諜報員として活躍する記憶を買います

そしてその記憶を移植されるかされないかという瞬間に

クエイドの中で別の記憶がフラッシュバックし

暴れる彼を取り押さえようとしたガードマンらを瞬殺してしまい

戸惑いながら家に帰り、妻に事情を説明すると、今度は妻が殺しにかかってくる

というバイオレンスで逆転につぐ逆転の起きるのが本作品です

 

十分お金を払って観る価値はあるなと思ったのですが

つい先ほど、シュワちゃん版の『トータル・リコール』を観終え

これは元の作品が良すぎるから評価されないのかもなと思いました

 

リメイク版との相違点には

主人公が諜報員をしていた場所がオーストリアでなく火星という点や

その火星に住む人々の一部はミュータント化しており

その原因が「行政側が作った安物ホールのせいで漏れた放射能」という

かなりブラックな点などがあります

 

シュワちゃん版『トータル・リコール』で一番強烈な印象を残すのが

マツコデラックスみたいなおばちゃんの中から出てくるシュワちゃん

のシーンだと思います

 

この衝撃はなかなか文章で表せるものではないのでぜひ実際にご覧いただきたいです

上記の「マツコの中からシュワちゃん」もそうなのですが

シュワちゃん版『トータル・リコール』には、

随所に良かれ悪かれ強烈な印象を残すシーンがいくつもあり

リメイク版にはスタイリッシュさこそあれ、印象に残るシーンがないのが

この二作品の評価を分ける決定的な差かもしれないと思いました

 

この印象に残るシーンと関係が深いのが「特撮」と「CG」ではないかなと

個人的には思います

 

シュワちゃん版は車もレトロだしディスプレイも分厚いし未来感は正直なく、

リメイク版の方が街の景観であるとか磁力で走る車の上下路線変更の場面だとか、

CGを用いたことで美しくよりリアルに表現できている部分がたくさんあったのですが

シュワちゃん版の特撮には美しさこそないものの、愛着ともなんともつかない、

観る人の記憶に残るインパクトがあることを感じました

 

特撮って本当に面白い技術だと思うんですね

僕は小さい頃『モスラ』が大好きで

モスラ』からはじまって

モスラ2』『モスラ3』『ゴジラvsモスラ』『怪獣大決戦』と

モスラが出てる作品はほぼ全て観てるんですけど

近年では特撮という技術自体がなんだか時代遅れのような扱いを受けていて

ゴジラ』も『モスラ』も『ガメラ』も

新作を作られないようになっているのが個人的にはすごく淋しいです

 

エヴァンゲリヲン』の庵野監督が『Q』の上映の前に

巨神兵東京に現わる』という作品を作っていて

『Q』を観た方はこの作品も同時上映だったのでご存知かと思うんですけど

あの作品は巨神兵も街も人も全て特撮の技術で撮影していたんですよね

で東京タワーが巨神兵に壊されるんですけど

けっこうそこで感動してしまった自分がいて

円谷プロの怪獣特撮映画では必ずといっていいほど怪獣が東京タワーを壊すんですね

あそこで壊されるのはスカイツリーでは駄目だったんですよ

そのシーンに庵野さんの特撮に対する愛情みたいなものが感じられて

本当に嬉しかったです

 

多くの人にとって追憶になってる「特撮」ですけど

庵野さんのように特撮を愛して残そうとする方がいるうちは

その残そうとする努力に対する出費は一緒に惜しまずしたいなと思いました

 

庵野さんとウルトラマンの関係についてもたくさん書きたいことがあるんですが

あまりに長くなってしまうのでそれは次回に

 

ブレード・ランナー』、新旧どちらもそれぞれ良いので

ぜひみなさまご覧くださいb

(ステマさせてくれる企業がいないブログより)

NAME(なめぇ)

 

ダブルミーニングってありますよね

 

1つの言葉に2つの意味を持たせるみたいな意味らしいんですけど

 

僕の好きな小説家に森博嗣さんという方がいて

名古屋大学工学部助教授のち小説家という異色の経歴の作家さんで

トリックやギミックにも理系ものが多く

彼の作品は「理系ミステリィ」と呼ばれています(ィが小さいのは重要です)

 

僕はこの方のつける小説タイトルが大好きで

特に犀川創平助教授とお嬢様大学生西之園萌絵コンビが事件を解決していく

「S&Mシリーズ」で付けられている題名がお気に入りです

 

シリーズ5巻の題名は

封印再度

というものなのですが

その太字の下に薄く

「WHO INSIDE」

という文字が記されています

 

この語感の良さとアイディアだけでも素晴らしいのですが

この「封印再度」と「WHO INSIDE」というダブルミーニング

起きる事件も暗示してもいるので脱帽です

 

5巻のトリックは「理系ミステリィ」という通称の面目躍如たるもので

読んでいただけると分かるのですが非常に興味をそそられます

ブログでトリックの一部を再現した様子を公開する方が出たほどです

(全て再現すると死人が出ますのでご注意ください)

 

シリーズ9巻の題名は

数奇にして模型」で

これもまた様々な暗示を含むタイトルなのですが

実はこれ

「好きにしてもOK」

のもじりなんですね

さらにこの「OK」の部分をよく見ると実は犯行の様子が見えてくる…

なんておまけつきで、森博嗣さんの小説には毎度その仕掛けの緻密さに驚かされます

 

でつい昨日はじまった僕のブログですが

ある尊敬する先輩が教えてくれた話に感銘を受けて付けていて

ここの名前も一応ダブルミーニングだったりします

 

単語に「~スト」とつけると「~する人」という名詞になる単語ってありますね

「ピアニスト」

とか

「サディスト」

とか

「空耳スト」

とか

そういうのですね

 

「カタリスト」にもそんな意味をこめていて

「語っちゃってる人」「語りに落ちる人」

みたいな意味を含んでおります

 

最近、僕ら含む若者の中では

何かを堂々と語るのが「格好悪いこと」になってしまってる気がするんですが

語ることで開けること、わかることってたくさんある気がして

この場所では思う存分に語ってやろうみたいな意気込みがこの名前にはこもってます

 

これだけだと若干ダサさみたいなものも滲み出てると思うんですが

Catalyst(カタリスト)」

という英単語があって、その単語には

「触媒」

という意味があるんですね

 

理系の方には馴染み深い言葉かもしれませんが、

触媒というのは

「ある特定の化学反応の反応速度を高める物質」のことです(出典:Wikipedia

 

ここで自分が垂れ流している考察が

いつかこの社会に起きる大きな変化の触媒になったら面白いななんていう

大それた考えもこの名前にはあったりします

 

あきっぽさに定評のある僕ですが

こんなかんじで定期的につらつらと思考を垂れ流すのでよろしくおねがいいたします

26時からはじめよう

 

早生まれってありますよね

 

1月から3月に生まれた人たちがそう呼ばれるみたいなんですけど

 

日本の場合、新年度はだいたい4月からはじまるから

早生まれの人たちってだいたい誕生日来るのはクラスの中でもすごく遅いんですよね

 

うちの弟は三月でも終わりのほうが誕生日だから

誕生日がくる少し前くらいから

「早生まれ早生まれって言われるけどさ、俺『遅生まれ』じゃん」

とこぼしていて

僕も「そうだな」とかテキトーに返してたんですけど

 

遅生まれっていうときの弟が若干しょぼん(´・ω・`)としてるなとか

兄として威厳のある返答みたいなのしてみたいなとか

そういう気持ちが相まって

早生まれについて調べてみたことがあったんですよね

 

そうしたら自分が色々知らなかったことが判明して

 

まず早生まれって「1月1日~4月1日生まれの人」のことを言うんですよね

 

で、なんで4月1日までで区切られているのかというと、

学校教育法

「4月2日生まれ~翌年4月1日生まれが同学年」

というようなことが決まってるそうなんですね

 

で、だーからなんで4月1日で区切らないのっと思ったので調べると

民法第143条に

「満年齢は、決算日に応答する前日をもって満了する」

という記載があり、これが根拠になっているのだそうですね

 

「決算日」って言い方すごい事務的ですけどこれ要するに誕生日のことですね

 

 

「今日はしゅう君の5回目の決算日だね~」

 

なんてケーキ持ったお父さんから言われたらしゅう君ドン引きだと思いますけど

 

簡単に言うと、

4月1日生まれのしゅう君(誰)は3月31日には5歳になってるんですね

だから、「5歳を満了してる子たち」でクラスを作ろうとすると

「4月2日~翌年4月1日」までの子が同じクラスになるという理屈だそうです

 

でここでやっと「早生まれ」の謎が解けます

この「早生まれ」という表現は、

翌年の子たちからみた表現なのだそうです

 

たとえば

2008年生まれで4月1日より先が誕生日の子はまだみんな幼稚園なのに

2008年生まれで1月~4月1日生まれの子は2007年生まれの子と一緒に小学生してる

2008年4月2日より後に生まれた子からすると、

1月~4月1日に生まれた子たちのことは「入学早っ」と見えるわけです

 

ということで「同年生まれの中で早く入学するから早生まれ」ということなんですね

「早入学」とかいう名前にしてもらえばもっと分かりやすかったんではと思います

 

 

前置きが長くなったんですけど

 

タイトルの話です

 

深夜ラジオの時刻表とかみると

「26:00~ 悪い人の夢」

とか書いてあるんですよね

 

中学時代に不眠症を患ってた頃よく深夜ラジオを聴いていて

ナイティナインのオールナイトニッポンがお気に入りだったので

この文字列をよく覚えているんですけど

 

僕はけっこうこの「26時」という表現が好きでした

こういう表現をするのは

「ラジオの都合で前番組から続いているってことを示すため」

という大人びた理由があるのはあとで知ったんですけど

 

「まだまだ夜は終わらねぇぜ!」

とか

「一日が24時間で終わるなんて誰が決めたんだよ」

だとか

そういう反骨心みたいなものを「26時」に僕は勝手に感じていたんですね

大多数のために24時間でひとまわりって決まりはあるけど

それが嫌だったら破ってもいいんだぜっていうそういうロックな魂を

「26時」には感じたわけです

 

で「早生まれ」もけっこうロックだと思うんですよね

先の年に生まれてる子たちと平然と競っちまってるわけですから

3月の終わり生まれなんてほとんど最後尾からのスタートだけど

それで成績トップってこれある意味ごぼう抜きみたいなものですし

 

結局は限界なんて自分がつくるものなんではないかと

「ここ、限界ですよ」

と誰かが言うことを聞いたりせずに

「俺はもっと先だって目指せるんだ」

と自分が信じていれば

限界なんてものは実はないんでないかなと思うんですよ

 

実は僕今大学4年を終えたとこなんですけど

一般的な「就職」であるとか「進学」であるとか「身を固める」というのは

もう少し先でいいかなと思ってます

 

こっからですよ

こっからが25時、26時の時間帯で

一番面白くなる時間帯なんですよ

 

もう少し

好きなことを好きなだけやってみようと思います

 

そんなことを思って

この延長戦を生きる自分の思考の記録をとっておくために

こんなブログをはじめました

 

毎回こんなかんじでためになるんだかならないんだか分からないことをかきますけど

どうぞよろしくお願いします

 

 

(26時に書き終えて公開するはずだったのにトロトロしてたらこんな時間になってしまったのは秘密です)