カタリスト

思考を暗所で常温保存

福島県川内村の現状について

 

どうも

 

久々のブログ更新です

 

今回は少し真面目な話を

 

今日は「東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)」の福島での現地会議をUstream配信するためにビッグパレット福島へ向かいました

 

ここを訪れるのは「とみおかこども未来ネットワーク」のシンポジウムを聴きに来て以来2回目です

実家にいる頃はだいたい日曜の昼間油断してるとビッグパレッドふくしまでのイベント情報がCMで流れていたのですが、郡山だったのでいわき市民の僕には若干縁遠い場所でもありました

 

今回の「現地会議in福島」では、様々な支援団体が仮設住宅から次の住居への移転の中で生じている課題などについて報告していたのですが、緊急でどうしても現状を報告したいという団体があり、急遽2日前に登壇することが決まったその団体の話をお聞きすることになりました

 

その団体は福島県双葉郡川内村から避難してきた志田篤さんという方が代表をしている「昭和横丁」というNPOで、川内村の方のみで構成されているということでした

 

志田さんは川内村の現状について詳しく説明してくれました

 

 川内村は2011年3月16日に原発事故を受けて村外へ避難した後、今日の会場だったビッグパレットふくしまを含む避難所での生活の後、2012年に遠藤町長が帰村宣言を発します

しかし「可能な村民は帰村する」という指示だったため、2013年12月現在、帰村者は1455名(52%)、村外の借り上げ住宅に住んでいる人々が約1600名、村外の仮設住宅に住んでいる方々は680名程とのことでした

 

志田さん自身は郡山の仮設住宅に住んでいるということで、今回の報告は、この川内村の方々が住んでいる郡山の仮設住宅に関することでした

 

 帰村した方々、借り上げに住んでいる方々にもそれぞれ課題はあるのですが、なかでも仮設住宅に住む方々は無雇用者、障害者世帯など無収入・微収入者が多く、ほとんどの方が80歳を超えているということでした

 

志田さんは

「多くの人には伝わっていないが、原発から20~30km圏内の広野町川内村の人々への精神賠償は2013年8月に打ち切られており、

今も仮設住宅に住む人々は現在は家賃の心配はないものの、これから復興公営住宅に移り、家賃が発生すると、本格的に生活に困窮してしまう」と訴えていました

 

志田さんの前には「3.11被災者を支援するいわき連携協議会」理事長の長谷川秀雄さんが報告をされていたのですが、その報告の中には、

いわき市民と原発事故避難者との間に大きな軋轢が生じており、先日は原発事故避難者が住む仮設住宅に花火が打ち込まれるという出来事があった」

という衝撃的なものがありました

 

長谷川さんの報告でさらに驚いたのは、「3.11被災者を支援するいわき連携協議会」では「第1回紛争解決講座」という勉強会を設けているという話でした

協議会では、いわき市民と原発事故避難者の軋轢を「紛争」と捉え、海外で難民問題の解決などにあたった講師の方を迎えて、講座を開いているのだそうです

 

講座は盛況で、地元の若い方々なども含め、40人以上の方が集まったとのことでした

 

悲しいことですが、いわき市民の一部は原発事故からの避難者たちに

「うちの市に税金払ってない」

東電から補償でたくさんお金をもらってる」

というイメージを持っていて、それが軋轢の原因になっています

実際に、鹿島街道のあたりの飲食店は、震災があって1年ほどの頃から平日も混雑するようになり、「避難者の人が毎日のようにいる」という話を僕自身聞いた事があります

「金銭的差別は簡単にコミュニティを破壊する」という一節がマッキーバーの『コミュニティ論』の中にありますが、現在のいわき市ではまさにそのような状況が起きています

 

僕自身、原発事故で避難を余儀なくされていた川内村の住民の方も、お金には余裕があるのだと勝手に思い込んでいたのですが、志田さんのお話を聞いて、全くそんなことはないのだということを思い知ることになりました

 

川内村に住んでいる頃には自分の先祖代々の家とお墓を持ち「家賃を払う」という行為事態、想像もしていなかった高齢者の方々が、仮設住宅から復興公営住宅へ移ると、決して多くない年金の中から家賃を払わなくてはいけなくなります

 

帰村できるのだから家に戻ればいいのでは、という声もあるかと思いますが、村民が半分しか戻っていない現状、村では十分な医療・福祉が受けられないのではという不安が現在仮設に住む方々にはあるそうです

 

志田さんは「これから川内村には二度目の試練が訪れます」とお話していました

 

見た目の上では復興が進む震災から2年9ヶ月目の今、志田さんの仮設住宅では防寒具を購入するお金すら困っている方がいらっしゃるそうです

 

イベントの後、志田さんにお話を伺いに行ったところ、特に「米」と「野菜」そして「防寒具」が不足しており、もしお願いできるのであれば、ぜひその物資支援を行ってほしいとのことでした

元々川内村は農業が盛んで、普段から野菜をよく食べていたので、今は急に野菜を摂らなくなった分、栄養バランスが非常に悪くなっているということでした

 

防寒具はセーターのような防寒着から、ホッカイロなど、本当に些細なものでもありがたいということです

 

震災というのは本当に理不尽なものだと思います

今まで正直に生きてきた川内村の人々が、震災によって人生を翻弄され、このまま原発事故を恨みながら人生を終えていくとしたら、そんなことはあんまりじゃないかと思います

 

同時に、同じ福島の人たちが「補償金」という問題で反目しあっているという状況も本当に辛く、なんとかしたいと思います

 

 

これから、周囲からお米と野菜と防寒具を集めて、直接川内村に持っていこうと思います

僕はいわきの出身です

いわきの人間から物資が届けば、「いわきの人らみんなが自分らを嫌ってるわけでないんだ」「世の中捨てたもんじゃねぇべ」と川内の人たちにも思ってもらえるのでは、と思います

 

もしこの文を読んで、川内村のために何かしたい、物資提供をしたいという方がいらっしゃいましたら、ぜひ私まで連絡をいただけるとありがたいです

ご連絡、ご質問は下記のGmailか、Twitterアカウントまでいただければと思います

nmtsicr@gmail.com

@Nemo_patitur

 

物資は責任持ってお届けします

 

震災は2011年3月11日にはじまって、現在も続いているのだと実感した一日でした

 

自分にできることを、まずはやってみようと思います

 

※追記

みなさまからいただいた支援物資を届けに、川内村へ行ってまいりました。

お米や生活用品を届けてくださった皆様、本当にありがとうございます。

志田さんによれば「ネットで川内村のことを知った」という方から多くの物資が届き、

この冬を越すには十分な物資が揃ったとのことでした。

改めて、感謝申し上げます。

 

訪問の際に、許可をいただいて動画を撮影し、自分が理事をしているNPOのアカウントで、志田篤さんのインタビューを公開しました。

川内村の厳しい現状が、当事者視点で語られています。

是非多くの方にご覧いただければと思います。

www.youtube.com