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電子書籍ガイド(社会と自分のための)

電子書籍元年」は終わるのか

「これから普及する」と何度も言われながら、国内ではまだ認知度が低い電子書籍。2010年は「電子書籍元年」と呼ばれ、電子書籍への理解は少しずつ広がっていますが、爆発的な電子書籍ブームは、いまだ訪れていないようです。 

電子書籍を普及させよう」という動きは、電子書籍を出版している著者の方々や、新たに事業を作ろうとしているみなさんの間では常に活発であるものの、既存の出版業界にはその動きがなかなか波及していないのが現状かと思います。

その状況から、「出版業界が電子書籍の普及を妨害している」といった主張も一部にはありますが、実情はそう単純ではないと感じます。

というのも、「紙書籍を好んでいる」のは何も出版業界に関わる方々だけではなく、読者の方々の意向でもあると感じるからです。

自分自身、電子書籍を出版・販売する中で、友人に「やっぱり本は紙で読みたい」と伝えられることが度々ありました。

それと同時に聞こえてきたのが、

「専用のタブレットを買わないと、電子書籍って読めないんだよね?」

という声です。

電子書籍は専用の端末がないと読めない」という誤解は多くの方が抱いており、紙への愛着に加え、こういったいくつかの誤解も、電子書籍が普及していかないひとつの要因になっているのではと感じました。

そこで今回は「電子書籍ってそもそも何なの?」という話から「実際に電子書籍を購読するのに役立つ情報」「電子書籍の未来」といったお話をしていこうと思います。

 

そもそも電子書籍って何よ  

 ウィキペディアの「電子書籍」の項目には、「……金属、樹脂、磁性体等の素材に、電磁的、または、レーザー光等で記録した情報」云々といった形で電子書籍の定義が非常に厳密かつ難解に説明されているのですが、大変分かりづらいので、ここではより簡潔な言葉で電子書籍をご紹介します。

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電子書籍は、大まかに言えば「インターネット上で配信されている、デジタルファイル化された読み物系コンテンツ」の総称です。

名前に「書籍」とある通り、情報はページごとに分かれており、タッチすることでそのページがめくられていく仕様が主流です。

 電子書籍をダウンロードできるプラットフォームは複数ありますが、MMD研究所が行なった「2016年電子書籍に関する利用実態調査」(2016年3月調査)によれば、利用率1位は大手通販サイトAmazonが提供する「Kindleストア」で、その利用率は全体の45%にのぼるということです。2位は楽天が運営する「楽天Kobo」(27.6%)、3位にはAppleが運営する「iBooks」(17.9%)と続きます。

 インプレスR&Dの調査では、2013年頃にはKindleの利用率は50%を超えていたため、電子書籍業界の勢力図は少しずつ変化してきていると感じます。今回の記事では、この利用率を前提に、電子書籍ユーザーの半数近くに使用されているKindleの解説を中心にしながら、他の電子書籍についても少し触れていこうと思います。(僕自身がKindleで書籍を出版しているため、Kindle寄りの解説が厚くなることをご了承ください)

 

スマートフォンタブレットがあれば、電子書籍はだれでも読める!

はじめにも触れましたが、電子書籍を敬遠している方々が抱いている誤解のひとつが「電子書籍は専用端末を新たに購入しないと読むことができない」というものです。

これは、電子書籍を専用端末で読みながら、街角で「読みやすい!」を連呼していた「Kindle」のTVCMの影響が少なからずあるんじゃなかろうかと個人的には思っているのですが、実際は、専用端末がなくとも、電子書籍は読むことができます。

 まず、混乱を招きやすい「Kindle」という単語について解説いたします。「Kindle」という単語は大きく分けて2つの意味で使われます。

 ひとつは、世界的な通販サイトAmazon」が販売する「電子書籍リーダー」としての意味です。先述したKindleのTVCMでは、この意味で「Kindle」という言葉が使われています。

もうひとつは、Amazon」が提供する「電子書籍販売サービス」としての意味です。Amazonは、電子書籍を購入・出版できるプラットフォームを自社で用意しており、その販売スペースをKindleストア」、そこで公開している販売ランキングをKindleランキング」と呼んでいます。 

そしてAmazonは「Kindleストア」で購入した電子書籍を、スマートフォンタブレットで簡単に読むことができるよう、Kindleアプリ」を無料で提供しており、このアプリをダウンロードすることで、専用端末を持っていなくとも、「Kindleストア」で販売されている電子書籍が読めるになります。

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Kindleアプリをスマートフォンタブレットでダウンロードし、Kindleストアで電子書籍を購入する」という方法が、現在、電子書籍を読みはじめる上で最も「手軽な第一歩」ではないか、と僕自身は考えています。

 

電子書籍と購入手段

幅広い年齢層の方がKindle電子書籍を購入する際に、

ハードルだと感じたもののひとつが、「購入手段」です。

通販サイト「Amazon」では、通常の商品を購入する際には「代引き」による現金決済が可能ですが、電子データである電子書籍を購入する際には、「代引き」の手続きが行えません。

AmazonKindleストアで電子書籍を購入する際に利用できる手段は2つで、

1つは「クレジットカード決済」

もう1つがAmazonギフト券による支払い」です。

クレジットカードをお持ちで、その利用にも不安のない方は問題なく電子書籍を購入することができるのですが、なかにはクレジットカードをお持ちでない方や、利用が不安だという方もおられるかもしれません。

そういった方々にとって嬉しい存在が、Amazonギフト券です。

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このギフト券はコンビニエンスストア等で購入でき、裏に記入されているコードを入力することで、Amazonで利用できるポイントを手に入れることができます。

iTunesカードなどと手続きは全く一緒です)

このギフト券をコンビニ等で購入し、ポイントを登録することで、簡単にKindle電子書籍が購入できるようになります。

僕自身、クレジットカードの「無限に購入できてしまいそうな感覚」が苦手なので、普段は「この金額だけ本を買おう」と決めたうえで「Amazonギフト券」を購入してKindle電子書籍を購入するのが習慣になっています。

 

「店舗で電子書籍を売る」実験

「そうは言っても、実物がないものを購入するのは不安だ」という声もあるかもしれません。そういった方々の声には、「楽天Kobo」と「BookLive」の協力で実験的に開始されているサービス「Booca(ブッカ)」が将来、応えてくれる可能性があります。

Boocaは「電子書籍を書店店頭で陳列し、購入することができる電子書籍カードおよびサービス」の愛称です。 

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図のように、本棚に似た形式で書店の一角にカードが陳列され、このカードを購入することで、当該タイトルの電子書籍を、提携する電子書籍配信サイトからダウンロードして読むことができます。2014年6月16日から11月21日まで、三省堂書店神保町本店などで実証事業が行われ、この実証事業の結果次第では、全国の書店に「電子書籍カード」が並ぶ未来がやってくるかもしれません。

一般社団法人日本出版インフラセンターによる実証事業の総括はこちらで読むことができます)

 

電子書籍が「紙と変わらない」?

電子書籍を語る際には、常にそれを読む「端末」が話題になります。

ご紹介したように、アプリをダウンロードすることで、みなさんがお持ちのタブレットスマートフォンでも読める電子書籍があるのですが、「液晶画面で長時間文字を読みたくない」といったご意見もあります。

電子書籍業界では、この「液晶画面での文字の読みにくさ」を大きな問題として捉え、その解決のために力を注いできました。ここで、先ほどご紹介した「Kindle」の電子書籍リーダーにお話を戻します。

CMでも話題になっていた電子書籍リーダーKindle Paper White」は、読書感覚を紙に近づけるため、「フロントライト方式」を採用しています。

 テレビをはじめ、これまでの液晶画面は「バックライト方式」と呼ばれる形式を採用しており、これは簡単に言えば「目に向かって、直接光を放つことで映像を見せる」形式です。

この方式にも一定のメリットがあり、それは、「人の感情を揺さぶりやすい」ということです。常に光が目に向かってくることで、受け手は強い刺激を受けるのですが、これは「文章を読む」という目的とは一致しない特徴でもあります。

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フロント・ライト方式とは、「ライトガイド(図の第1層)から発せられる光を、一旦、文字が記載されたPaperWhiteディスプレイ(図の第3層)の方向へと放ち、ここで反射された光がユーザーの目に映る」という形式で、この方式では、「明かりの下で紙の本を読む」のと非常に近い感覚を得ることができます。このような技術によって、電子書籍を読む感覚は、紙書籍を読む感覚へと近づいてきています。


おわりに

ここまで、電子書籍に関する様々な情報をご紹介してきましたが、僕は「紙書籍の時代は終わり、電子書籍の時代が来るんだ!」といったことを主張するつもりは全くありません。

まだまだ普及率は低いですが、電子書籍を読む人が増えることは、作家にとっても、読書愛好家にとっても、嬉しいことなのではと思います。

僕自身は、電子書籍を利用するようになったことで、保有できる本の数が増えたり、長編小説をどこにでも持ち歩き、読むことができるようになりました。

ただふと、辞書のようにずっしりと重い書籍を手にとり、その書籍と二人きりで、ゆっくりと時間を過ごしたいと思うこともあります(『ハーモニー』のミァハの影響を強く受けていることを白状します)。

 

電子書籍は、本を愛する人々が新たに得られた「選択肢」なのだと思います。

あくまで選択肢ですから、この存在を読書家や作家が敵にするのも味方にするのも、自分たちの考え方ひとつなのでは、と考えています。

この記事が、その選択肢の存在を知っていただき、そこへ進むためのちょっとしたガイドラインになれば幸いです。

 

P.S.

(末尾に、先週出版した拙著のリンクを貼らせていただきます。

名前が物騒ですが、電子書籍を試しに読む際の実験台にしてもらえばと思います) 

プロパガンダ・ゲーム

プロパガンダ・ゲーム

 

 

【ネタバレ有】「シン・ゴジラ」感想と考察

 

どうも

ゴジラほどではないですが

長い眠りから醒めることに定評のある拙ブログです

 

実は7月29日に「シン・ゴジラ」が公開されてから、3年前に私が書きました、

エヴァンゲリオンとウルトラマン」というブログ記事にアクセスが増えておりまして

 

今読み返してみると、上記の記事の中には

偶然「シン・ゴジラ」の根底にある重要な要素が網羅されていることに気づきました

 

おそらく、目ざとい庵野秀明ファン、エヴァファン、特撮ファンの方が、検索で辿り着いてくださっているのだと思います

 

上記の記事には、ネタバレなく「シン・ゴジラ」という作品をより深く楽しめる、庵野秀明監督にまつわるトリビアがやたらと放り込まれておりますので、よろしければご覧ください

 

さて、ここからは、公開初日にちゃっかりPARCO2のIMAXで観てまいりました、庵野秀明総監督「シン・ゴジラ」の感想と考察をネタバレ全開でお送りします

まだご覧になっていない方は、くれぐれもご注意ください

 

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ということで

観てまいりました「シン・ゴジラ

 

例のごとくあらすじ等に関しては様々なサイトでまとめられていますので、私は本当に感想と考察だけ書いていきます

 

 

観終わった後のはじめの感想は、

庵野監督、ありがとう

です

 

私はそんなにたくさん映画を観ているわけではないのですが、

自分がここ20年劇場で観た日本映画の中で、最高の作品だと本気で思いました

 

詳細はこれから書きますが、

「完成度が高い」というのとはまた違っていて、

とにかく、総監督の庵野さんと、監督の樋口さんに感謝したい作品でした

 

 

この映画は「会議」と「戦闘」が構成の中心になっており、

その両シーンが非常に面白いです

 

個人的には、冒頭から例の「作戦BGM」が流れるまでの会議シーンは、

この映画におけるコメディーパートなのだと思いました

 

不可解な現象の中、会議室では「出演:日本国政府一同」のコントが行われ続けます

 

「上陸はないって言っちゃった後だぞ!」や「それ、どこの役所に言ったんですか?」等、

政治家の「パフォーマンス主義」と「官僚のセクショナリズム」を

見事に表現したセリフが、軽快なカット割りで次々と展開していきます

 

冒頭のほとんどが会議室のシーンでありながら、これだけ飽きずに見られるのは、

庵野監督のカット割りの巧みさと、セリフの面白さが主因だと感じました

 

個人的には、

総理レク(チャー)

という字幕が大変ツボでした

 

「こんなに会議シーンいらないだろ」というご意見もあると思うのですが、

『パシフィック ・リム』のギレルモ監督は、同作のオーディオコメンタリーの中で、

「冒頭で出撃シーンを丁寧に描くことで、以降それが繰り返されていることが分かる」

と発言しており、冒頭の会議シーンは、そういった役割を果たしていると感じました

 

日本における「政治的決定」がどのように行われているのかを一度描くことで、

以降、この物語においてどのように物事が決定しているかが理解できるというわけです

 

感謝ポイントは数限りなくあるのですが、今回の「シン・ゴジラ」は、

「実写版エヴァンゲリオン的な側面もあり、そこも自分にとっては面白かったです

 

上記の記事にも書きましたが、 エヴァンゲリオンにおける「NERV」は、庵野さんの

ウルトラマン科学特捜隊が本当にあったら、その内部はどうなっているんだろう」

という疑問から出来た組織で、今回の怪獣に対応する政府の様子が大変リアルなのは、

庵野さんがエヴァンゲリオンでNERVを描いた経験が強く関係していると感じました

 

さらに言えば、

シン・ゴジラ」は、現在の日本を舞台にしたリアル『ヤシマ作戦だと思います

「巨災対」のはじめての会合の瞬間にあの作戦BGMが流れた時は燃えました

国家の存亡をかけた作戦を「巨災対」が中心になって実行していくその様を観ながら、

「俺はこれが見たかったんだ!」と心の底から思いました

 

はじめに「完璧な映画ではない」という趣旨のことを書いたのですが、

この映画において私が「これは……どうなんだろう」と思ったのは、

「クローバー・フィールド」的演出のシーンで登場する一般人が総じて棒読みなのと

石原さとみさん演じるカヨコ・アン・パタースンという存在そのものです

 

シン・ゴジラ」という映画自体は、

ゴジラ」と「日本沈没」と「エヴァンゲリオン」を足して割らないで二時間に収めたような作品だと思っていて、総合的には満点以上の映画なのですが、

カヨコ・アン・パタースンは、

惣流・アスカ・ラングレー葛城ミサトを足した後に誤ってル―大柴が混入した人物であり、彼女が話しだすと作品自体が「虚構」の方に揺らぐ感覚がありました

 

石原さとみさん自身は、雑誌インタビューの中で

「『エヴァンゲリオン』の中に登場するような、庵野さんの描く女性像が視聴者の目に映ったらいいなと思って演じました」

と答えており、「あーこのへんはアスカイメージしたんだろうな」とか「このあたりはミサトさん意識してんな」という部分はあったんですが、いっそのこと彼女の台詞は、全て英語か日本語に統一したほうがよかったんではないかと感じました

 

いろいろと感想を書いてきましたが、ここからはそれをふまえて個人的な考察です

 

まず強く感じたのは、

シン・ゴジラ」は、初代「ゴジラ」製作者の精神を継承しているということです

 

初代「ゴジラ」の生みの親、本多猪四郎監督は、映画を撮る際に、

制作の田中友幸氏と、特撮監督の円谷英二氏に対して、

「原爆の驚怖(原文ママ)に対する憎しみと驚きの目で造っていこう」

と発言しており、「ゴジラ」は原水爆、ひいては戦争の恐怖を具現化した存在でした

初代ゴジラは、本多猪四郎監督のジャーナリズム的精神と、

円谷英二特撮監督の天才的な芸術センスにより出来上がった、傑作映画でした

 

今回の「シン・ゴジラ」において庵野総監督自身は明言していませんが、

ゴジラは、東日本大震災東京電力福島第一原発事故を具現化した存在だと感じました

 

具体的には、ゴジラ第二形態」が東日本大震災による津波を象徴しており、

第三形態以降が、東京電力福島第一原発事故を象徴していると感じました

 

ゴジラ第二形態は、しばらく全容を現さず「川」を低い姿勢で登っていき、

以降の形態からは「放射能汚染」と「何が起こるか分からない」ことが問題になります

 

映画の構成自体が3月11日の地震発生から3月12日以降の原発災害をなぞっており、

シン・ゴジラ」は、「日本を襲った歴史的災厄を怪獣化する」という、

ゴジラ」本来が持っていた意味を、しっかりと表現してきたと感じました

 

ですので、東北や、熊本の人々にとっては辛いと感じられる映像もあると思います

 

ただ、「ゴジラ」という災厄を戦う人々の団結と、そこで繰り出される台詞の数々は

観る人々に勇気に与える力強いもので、私は「今こそ観るべき映画」だと感じました

 

内容の考察として多くの方が一番気になっているのは、

「ラストシーンの意味」ではないかと思います

 

ラストシーンでは、凍結されたゴジラの尻尾先端で、

「人間のような生物」が生まれようとしていたことが映し出されます

 

このシーンには様々な解釈があると思うのですが、

まずは、「ヤシオリ作戦」という 作戦名の由来を理解することが重要だと感じました

 

「巨災対」が立案した、ゴジラを凍結し停止するプランが「ヤシオリ作戦」です

凍結のために必要な化学物質を、転倒したゴジラの口から摂取させるという展開は、

「薬は注射より飲むのに限るぜ、ゴジラさん!」

という「ゴジラビオランテ」における権藤一佐の名言のオマージュもありつつ、

由来は、日本神話に登場する「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」にあるだろうと思います

 

「ヤシオリ作戦」のヤシオリは、八岐大蛇を眠らせるために飲ませた、

「八塩折之酒(ヤシオリノサケ)」が由来で間違いないかと思います

化学物質を飲ませるための特殊車両は劇中で「アメノハバキリ」と呼ばれており、

これはヤマタノオロチを倒した剣「天羽々斬(アメノハバキリ)」と合致しています

 

とすれば、ゴジラは神獣「ヤマタノオロチ」を指しており、

ゴジラの尻尾」は「ヤマタノオロチの尻尾」と関連性がある可能性が高いです

 

ヤマタノオロチを倒した後、その尾から現れたのが

「草那芸之大刀(クサナギノタチ)」で、これは日本国の三種の神器となっています

草那芸之大刀は、三種の神器の中で天皇の武力」を象徴しています

 

仮説としては、ゴジラヤマタノオロチ)を倒した後の尻尾からは、

「この国を作り変えるような強大な武力」が生まれると私は考えています

 

尻尾から生まれたのは、人型で武器によって破壊することができない「完全生物」、

具体的には、「風の谷のナウシカ」で登場する巨神兵を僕はイメージしました

 

樋口監督と庵野総監督は「シン・ゴジラ」でタッグを組む前に、

エヴァQ」と同時公開された短編映画巨神兵東京に現わるで協力しています

 

そう考えた上で映画を見直すと、「シン・ゴジラ」におけるゴジラの放射熱線は、

風の谷のナウシカ」における巨神兵」の発する光線と非常に似通っています

 

冒頭で紹介したブログ記事でも記載しましたが、「風の谷のナウシカ」において、

巨神兵の絵コンテを担当したのは、若かりし頃の庵野さんです

 

こうした背景を考えると、ラストシーンでゴジラの尻尾から生まれかけていたのは、

「人型の完全生物で、人類を脅かす強大な武力を有しており、形状は巨神兵に近い」

とまとめられるかと思います

 

これらのことをふまえ、最後の考察です

そもそもどうして、ゴジラの尻尾から、「人型」の生物が生まれるのでしょうか

 

冒頭に登場するグローリー丸(初代ゴジラの「栄光丸」のオマージュ)には、

牧元教授の「私は好きにした 君らも好きにしろ」という手紙、折り鶴、眼鏡、靴

そして、宮沢賢治の詩集春と修羅が置き去りにされています

 

はじめにこの映画を観た際は、「牧元教授は自殺したのだ」と多くの方が感じると思いますし、私自身もそう思っていました

 

ただ、牧元教授が妻を奪った放射能を憎んでいたこと、研究内容の一部が意図的に空白にされていたことを知った後に、グローリー丸に置き去りにされていたものをもう一度見ると、自分の中で、全く違った結論が出てきました

 

これはあくまで個人的な感覚ですが、この世に絶望して自殺しようという人間が、あんなにきれいに眼鏡を揃え、靴を揃え、詩集を置いていくでしょうか

 

牧元教授の遺体が見つかったという情報は、劇中に一切登場しません

 

極めつけは、宮沢賢治の詩「春と修羅」の内容です

シン・ゴジラ」を観終わった方は、ぜひこの詩を最後まで読んでください

 

私は、「牧元教授は海底に飛び込み、ゴジラの一部になった」のだと思いました

 

劇中では、ゴジラが生まれた原因を、

「偶然海底に生存していた古代生物が、不法廃棄された放射性廃棄物を捕食した」

と説明していますが、それでは二足歩行であること、東京を繰り返し襲うことが説明できません

 

牧元教授は、海底に自ら飛び込むことで、ゴジラを完成させるために必要だった最後のピース「ヒト遺伝子」を提供したのではないでしょうか

 

牧元教授がゴジラの一部になっていたと考えれば、二足歩行であることも、自分と妻を見捨てた「日本」という国の中枢、東京を襲うという行動をとることも、合理的です

 

 

そして、元々「ヒト遺伝子」を取り込んでいるからこそ、

ラストシーンでゴジラの尻尾には、「人型」の生物が生まれるのではないでしょうか

 

「おれはひとりの修羅なのだ」

 

 これが、牧元教授の気持ちだったということです

 

 

 

さて

 

軽い気持ちで書き始めたこの記事も、気づけば5000字が近づいてきてしまいました

 

最後に伝えたいのは、

「『シン・ゴジラ』は最高の映画だが、これは元から2回以上観るべき作品で、2回目以降から理解できる本当に面白い要素がいくつもある」

ということです

 

みなさん、「シン・ゴジラ」を観ましょう

私のこの記事はほんのひとつの考えでしかないので、

これからたくさんの方の「シン・ゴジラ」考察が読めると本当にうれしいです

 

最後に、

庵野監督、本当にありがとうございます

お体に気を付けて、また面白い作品を作って下さい

新作品が公開されたら、

這ってでも行きます

 

 

【ネタバレ有】「スターウォーズ/フォースの覚醒(エピソード7)」感想と考察

 

どうも

コールドスリープしているブログを

突然呼び覚ますことに定評のある私です

 

以前のブログも『エヴァQ』を観た途端に更新を再開したのですが

今ブログは『スターウォーズ』と共に再開です

 

※ここから先は盛大にネタバレを含みますので未見の方はお気をつけください

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ということで

観てまいりました「スターウォーズ/フォースの覚醒」

 

あらすじ等に関しては様々なサイトでまとめられていますので、

僕は本当に感想と考察だけ書こうと思います

 

 

観終わった後のはじめの感想は

レイ、強すぎ

です

今回初登場キャラで「フォースの覚醒」のヒロインであるレイですが、春麗も真っ青の格闘系ヒロインでした

 

・2対1の劣勢でストームトルーパーを肉弾戦で倒す

・はじめて乗ったミレニアム・ファルコン号を自在に操る

・師がいなくてもフォースを習得する

・敵側の主力「カイロ・レン」を修行なしにライトセーバーで打ち負かす

 等々、軽く引くくらい強かったです

 

マッドマックス~怒りのデスロード~」を観た際にも感じましたが、「男性に守られる女性」という構図はハリウッド映画においては過去の産物になりつつあるのですね

エピソード4ではレイア姫はホログラムでオビワンに助けを求めていたわけですが、エピソード7ではレイはことごとく自力で窮地を脱していましたね

男性主人公であるフィンが手を繋ごうとするたびに、

全力で拒絶する姿が印象的でした

 

そして、レイの強さと関連して浮かんできたのが、

レン、弱すぎ

 という感想です

 

今回初登場のキャラクターで、ファースト・オーダー(帝国の流れを継ぐ勢力)側に属する仮面の剣士「カイロ・レン」氏ですが、ポスターやパンフレット等では最も手強い敵のような雰囲気を醸し出していました

 

ただ、個人的にはレン氏のことは上映前から

ダース・ヴェイダーのコスプレをしているようにしか見えない」

と思っていて、どうもルックスに迫力を感じなかったのですが、

実際本編を観てみてわかったことは、

彼は実際にダース・ヴェイダーコスプレイヤーだったということです

 

厨二病」兼「グランドファザーコンプレックス」ということで

キャラ立ちという意味では他の追随を許さないカイロ・レン氏ですが、

手負いだったとはいえ、格ゲー的に表現すればガチャプレイ状態だったレイさんとのライトセーバー戦に負けてしまったのは驚きましたし、

「師が必要だな」

などと余裕をこく前にしっかり鍛錬を積んでほしいと感じました

 

 どの面下げて初日のメモリアルパンフレットの表紙を飾ってるんだ」と各所で話題のキャプテン・ファズマ女史の活躍(通称:ファズマ問題)含め今回の帝国側の皆様は非常に頼りなく、ラスボスのヴォルデモートっぽい人もホログラムが巨大すぎて逆に弱そうでしたし、ファースト・オーダー(帝国側)の銀河侵略遂行能力には、大変不安が残りました

 

今回は エピソード4で登場した「デス・スター」をさらに巨大にしたような「スター・キラー」という一撃で複数の星を葬る恐ろしい兵器が登場したのですが、ご機嫌なナイスガイ、ポーをはじめとする反乱軍側に内外部から弱点を狙われ、エピソード4の頃よりも随分たやすく爆発炎上させられてしまいまして、帝国側の皆様には、ぜひ前任者との引継ぎをしっかりしていただきたい、具体的には「星に匹敵するような巨大兵器に、一撃で本体が全壊するような深刻なセキュリティホールを作らないでいただきたい」という気持ちでいっぱいでした

 

さて、ここまでの内容で

「こいつはよっぽど新作が気に食わなかったんだな」

と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、それは誤解だったりします

 

僕は今作を、「スターウォーズ新章の導入としては最高に近い作品」だと思っています

というのも、ここまで書いたものを振り返ると分かる通り、この映画を観終わった後に自分の心に強く残ったもののほとんどは、新キャラクターたちの動向だったからです

 

レイの住居を遠目から見た際に実は建物がAT-ATの残骸だと分かる演出、

「ポンコツ」呼ばわりからのミレニアムファルコン号登場、

ハン・ソロの「いやな予感がするぜ」という台詞、

敵陣でのチューバッカ無双、

歳を経て指導者としての貫禄が出たレイア姫etc…

 

挙げればきりがないくらい、これまでのSWシリーズを観てきた人間ならついつい嬉しくなってしまうシーンや演出は大量にあったのですが、

それでいて『スターウォーズ/フォースの覚醒』は、観終わった後に「新キャラたちのことを考える」映画なんです

 

これってすごいことだと思うんですよ

 

これだけ作品やキャラクターに人気があったら、今までのストーリーとキャラクターを本当にただ踏襲するだけでも充分と考えてしまいそうなものですが、

監督のJ.J.エイブラムスはこれまでのSWの歴史を大事にした上で、「新しいキャラクターたちが強く印象に残る」映画を作っているんです

 

もちろんすべてがいい印象でないことは確かなのですが、それも含めて、

「新しいスターウォーズ・シリーズが始まったんだ」

という気持ちを自分は抱いたので、この作品は本当に気に入っています

 

そのうえで、「フォースの覚醒」からはじまる新3部作に僕が唯一抱いている危惧は、

このままいくと共和国圧勝じゃない?

というものです

 

「フォースの覚醒」ラストシーンではレイは隠遁していたルークと出会います

今作のストーリー全体がエピソード4の展開をなぞっていたことを考えると次回作ではエピソード5をなぞりレイはルークと修行を行うことになりそうですが、

そもそもレイは自力でフォースを習得してしまいましたし、最後に登場したマーク・ハミル演じるルークさんの方が元気がなくて心配(お腹もちょっと出ている)だったので、ルークがレイを稽古するよりレイがルークをリハビリする方が説得力がある気はします

(友人宅で観た『レーザーホーク』という超低予算のB級映画「自分は銀河の平和を守る正義の宇宙人だ」と言い張る精神病患者役として登場しているマーク・ハミルを観たときは涙を禁じえなかったです)

 

ただ、もし立ち直ったルークとレイが修行することになれば、レイの強さに更に磨きがかかり、圧勝ムードがより強まってしまうのではないかという懸念があります

スターキラーは木端微塵ですし、 そもそもレイはカイロ・レンにいきなり勝利してしまっています

「強敵に敗けて修行の後リベンジ」が少年漫画の王道ですが、今回のスターウォーズ新三部作ではそれが成立せず、修行する必然性もありません

次回作の展開は、非常に読みづらいと言えます

 

長々と感想を書いてきましたが、ここからはそれをふまえて個人的な考察です

 

僕は、レイが暗黒面に堕ちて新帝国の指導者になるのではないかと思っています

 

現時点でダークフォース側にいるカイロ・レンはこれからヴォルデモートっぽい人(スノーク氏)に再び指導を受けて立派な暗黒卿を目指すようですが、

正直ここまでの描かれ方で彼は弱さを強調されすぎていて、かつ才能がないということも婉曲的に言われているので、恐ろしい敵にはなりえないと感じています(ちょっとカイロ・レンくんがかわいそうになってきました)

前述のスノークさんも、ラスボスとしてはパンチが弱いです

 

対して、レイは非常に強力なフォースを持っており、誰の指導も受けない状態でフォースを覚醒させ、ライトセーバーを操り、カイロ・レンを圧倒しています

額へのキスシーンから、フィンへは恋愛感情に近い感覚を持っている可能性もあり、R2-D2に義手を置くフラッシュバックシーンから、ルーク(スカイウォーカー家)と繋がりがある可能性も示唆されています

加えて、初めてBB-8に接した際に、レイは「曲がっているアンテナを直し」ます

これは、アナキンと同じ「フォースにバランスをもたらすもの」の暗喩とみることができるのではないでしょうか

冒頭に貼った「フォースの覚醒」の公式ポスターをそのような視点で振り返ると、いかにもレイが「ダークサイドとライトサイドの境界」にいるように見えてきます 

 

以上のようなことから僕は、新三部作では「ダークフォースに目覚め、史上最強の敵となったレイを、ライトフォースに戻ってきたカイロ・レンが一生懸命努力して倒す」展開が来るのではないか、というか来てほしいと思っています

 

正直、すぐにキレてコックピットをライトセーバーでバンバン壊しちゃう(そして「まーたやってるよ」とストームトルーパーさんたちにも呆れられちゃう)カイロ・レンさんを応援したくなっている自分がいるわけです

今作で登場したキャラクターの中で、一番人間味があるのが彼だと思うんですよ

今回彼は大変な罪を犯してしまいましたが、ここで彼を悪役に固定せず、贖罪を目指した方が新世代の映画になるのではと、そんなことを思ったりもしています

 

とまぁ、長々と書いてしまいましたが、こうして「ああでもないこうでもない」とスターウォーズについてまた考えられるようになったこと、そして2年後には完全新作が続編として公開されること、そのことが本当に嬉しいです

 

今週中にまた劇場に足を運んで、気付いたことがあったら書き足していこうと思います

 

以上「スターウォーズ/フォースの覚醒(エピソード7)」感想と考察でした

次回更新は2年後です(?)

お金とコンテンツと、時々オカン

 

どうも

 

知人のFacebookの「傘盗まれた…」という投稿に

すごい量の「いいね!」がついているのを見ながら

善意とは残酷なものだなと思っている僕です

 

今日は「コンテンツを買う」ことについてです

 

普段何気なしに行ってる「物を買う」という行為ですが

曲がりなりにも自分で物を売るようになって

「みんな何かを買うとき、何を考えてその決定を下すんだろう」

と思うことが増えました

 

僕が今日何を買ったかを思い返してみると

朝はまぁいつも通り1分でも無駄にするとデッドラインに達する時間に目覚めたので

何も食わず店にも寄らず事務所に向かったわけですが

それから午前中はせっせと作業し

昼間には

「お、新しいパスタが出とるがな」

と思い、青いコンビニで「よくばり和風醤油パスタ(¥450)」を購入

 

午後は動画編集の仕事を終え

昔イービーンズの天敵だった赤い店でうどん(¥120)を買い

2点まで260円だったので到底食いきれない量のハッピーターン×2を買い

ハッピーパウダーまみれの指でこのブログを書いているわけですけれども

 

「自分が何でそれを買ったか」を思い返してみると

けっこう物を売るときのヒントにもなるなぁと思いまして

まず、なんで「よくばり和風醤油パスタ(¥450)」を買ったかを思い出してみると

 

前提として

「腹が減った」

という根源的な欲求があったわけですね

 

「そうしないと困る」というのは非常に強力な行動動機になるなぁと思っていて

先日観た「ウルフ・オブ・ウォールストリート」の中で

主人公を演ずるディカプリオが

(最近の彼はレオ様というより非常にディカプリオな感じですね)

 

「俺にこのペンを買わせてみろ」

 

と仲間たちに言いながらチンケなボールペンを渡すんですね

 

言われた仲間たちは

 

「このペンはとても品質が良くて」

「インクがスイスイ」

 

とか一生懸命言うんですがディカプリオは呆れるばかり

 

それで仲間の黒人俳優を指して「売ってみろ」と言うと

その黒人は一言、

 

「名前を書け」

 

と言うわけです

そしてディカプリオはその回答に満足する

 

必要性を作れば物は売れるわけですね

今日僕がパスタを買ったのはその理由が大きいと思います

 

基本的にいわゆる三大欲求は人間から涸れることはないので

食・性・睡眠に関わる職はどれだけ時が進んでも残り続けるんだろうなと思います

「睡眠」ってちょっとニッチすぎる市場じゃないのって話ですけど

これ単に宿やベッドという意味じゃなくて

仏教用語で「睡眠欲」って「楽をしたい気持ち」のことを言うらしいんですね

 

つまり

楽をするための商品は開発され続けるだろうし

みんなもそれを買い続けるだろうと、そんなかんじのお話です

 

ということでこの三大欲求に関わるものは

人間が生きていく限り勝手に必要性が生まれるので

コンテンツとしては最強だと思います

 

逆に言えば、ここに関わるコンテンツしか儲からない時代って

あんまり文明的な時代じゃないんじゃないのと思ったりします

この前

「100年前まで遡って、その年のベストセラーを紹介した表」

twitterで見かけたのですが

現代に近づくにつれベストセラー内にいわゆる「ハウツー本」が増えるんですよね

あぁどんどん「睡眠欲」ばかり高まってる時代なんだなと思うと

なんだか空しくなりました

 

で三大欲求はちょっとキラーコンテンツすぎるので一回置いておいて

それ以外で人が物を購入するときの判断材料を考えます

 

僕が今日のお昼、ねぎとろ巻きでも他のパスタでもなく

「よくばり和風醤油パスタ(¥450)」を購入したのは

「まだ一度も食べたことがなかったこと」

「他の同量の商品に比べて50円安かったこと」

が主な要因として挙げられます

 

マーケティングぽい言葉に直せば

「新規性」と「価格競争」の2つをみたときに

「よくばり和風醤油パスタ(¥450)」は優れていたとか言えるんでしょうか

 

この2つも大変重要な要素だよなぁと思いながら

ちょっと今日も電子書籍の話に繋げていこうと思うんですけど

 

「新規性」と「価格競争」はもちろん電子書籍でも重要な要素ですが

電子書籍を売る際に何が困難かというと

やはり一番は

「実物がないこと」

だと思うんですね

 

いや、実物はあるんですよ?

あるんだけどないというか

「あると断言できる価値観が社会で支配的でない」

みたいな言い方になるんですかね、よくわからないですけど

 

「1000円札を渡すと、質感を持った紙の本が代わりに渡される」

これは非常に分かりやすいですよね 身体的にも分かりやすい

これだけの厚さのものを作るのには紙もインクも労力もきっと必要だったんだろう

だから自分が対価を支払うというのも当然だろう

そういうロジックが簡単に成り立つ

 

ただここで身体感覚が軽薄になると、対価を支払うという感覚も軽薄になる

重くも軽くもない、質感も香りもない、ただデータだけがある

ネットで違法ダウンロードや無料のコンテンツが流行るのは

つまるところこの身体感覚に起因するんじゃないかと思ったりします

何かを買っても、逆に買わなくても、自分は重い思いをしたりしないわけです

 

大きなファイルをダウンロードすると

「このファイル重い」

なんて言いますけど

物理的に本当に重くなったら

みんなもっとそのファイルに対して対価を払う気になるんではないかな

なんて思ったりします

 

ニコニコ動画をあそこまで大きくした立役者でもあるドワンゴ川上量生さんが

cakesというサイトで

「コンテンツにお金を払わないのは親の躾が悪い」

なんてドぎついことを言っていましたが

僕はちょっと一理あるなと思っていて

 

僕は小学生くらいの頃、スーパーで無料の試食コーナーがあると

必ず並んでソーセージとか牛肉とか食べてたんですけど

あまりに毎回やってるもんだから

ある日母が叱ってきたんですね

「無料なのに何でいっぱい食べちゃだめなの?」

と子どもの僕は聞いたわけなんですけど

そんとき母が言った言葉が

 

「はしたないでしょ」

「そんなに食べられたら売店のおばちゃんも困るでしょ」

 

の二言で、今振り返るとまぁこの言葉に尽きるのかなぁと

 

もちろん無料でコンテンツを消費するのがいけないなんて言うつもりはなくて

嫌だったら無料で提供しなきゃいいわけですよ

売店のおばちゃんもおいしそうに目の前で肉焼かなきゃいいんですよ

 

それでもなんでおばちゃんがおいしそうに目の前で肉焼いてるかって言ったら

「美味しかったら買ってね」

って思ってるからですよね

そこを忘れちゃうとまずいよなぁと

 

「肉を食う」って目的を達成するためなら試食コーナーで良いのですが

「この美味い肉を作ってる人に頑張ってもらいたい」と思ったら

購入するという行為はその気持ちを伝える手段になるのだよなと

 

今の時代、どんな音楽もネットで検索すれば

必ずYoutube上に違法か公式か、とにかく動画が上がっていて

それを再生すれば

「そのアーティストの楽曲を聴く」という目標は達成できるわけですよね

ただ、その人たちに頑張ってもらいたいと思ったら

iTunesで曲を買ったり、ライブに行ったりするって選択肢があるわけで

 

コンテンツを提供する側に対して理解のある世の中にならないと

このネット社会はコンテンツとその奥にいる人たちを

食いつぶしてしまうのかもなぁと

そんなことを思った月曜日でした

kindle本『脱水少女』無料キャンペーン結果報告+電子書籍業界への所感

 

どうも

 

ロフトで男子高校生のグループがバレンタインデーの義理チョコのお返しを選んでいたんですけど、ひとりだけ明らかにガチの(¥3000ほど)ものを返そうとしていてそれをみんなが必死に宥めるという光景に出くわして「若いっていいな」と思った僕です

 

「いやいやいやお前だけこれはおかしいって!」

と彼が叫んだのは親切心だったのか抜けがけを恐れていたのか

 

はい

ということで

今回は非常に長いタイトルになってしまいました

 

もっと早く発表するつもりだったのですが

ここ数日は何かを宣伝したりする気持ちには全くならなかったため

本日の発表になりました

 

ここ数日考えていたことはtwitterに書き散らしていたので

もし興味がある方はそちらをご覧ください

 

何も考えないわけがないのですが

「考えている」とことさらに言うのも憚られるという

そんな気持ちの数日でした

 

さて

タイトルの件でございます

 

太平洋時間3月4日から3月8日のべ5日間、

Kindleストアにて拙著『脱水少女』の無料キャンペーンを実施いたしました

 

その結果、

合計 1329冊

のダウンロードを無料期間中にしていただきました!

ダウンロードしてくださったみなさま、本当にありがとうございます!

 

前回の1067冊から300冊ほどの伸びがあり、『幻覚少女』を出版したことにより、これまでより多くのkindle愛好家の方に知っていただけたのかもしれないと思いました

 

さて

ここからは少しシビアな話をしていこうと思います

 

kindleダイレクトパブリッシング」いわゆるKDPでは、

著者は「レポート」というページを見ることができ、

これによって今月の販売数をリアルタイムで確認することができます

 

上記の無料ダウンロード数を発表しようと考えた際に、

この「レポート」のページをスクリーンショットし、

そのまま掲載したほうが情報ソースも明確になるし好ましいと思ったのですが、

そこで前回調べたある項目のことが気になりました

 

それはkindle側の「販売数の公開」に関する姿勢です

 

前回の結果報告の際にも触れていますが、kindle側の姿勢は

「販促目的で貸し出し数、ダウンロード数などを良いニュースとして他の人と共有する場合、公表を禁じることはない」

 というものです

 

ただ、レポート全体をコピーした場合、必ずしも「良いニュース」だけが届くわけではないと思い、今回はこういった形での発表を行わせていただきました

 

必ずしも良いニュースではないというのは、率直に言えば有料化以後のダウンロード数がこれでもかというくらいガクンと落ちているというお話です

 

その辺りの事情も含めここからは

「KDP作家がkindleで本を売るためには何が必要なのか」自分なりに考えたことを

ダウンロード期間中に感じたことをふまえ書いていこうと思います

 

まず、今回の無料期間中のダウンロード数ですが、

このダウンロード数は「KDP書籍の中では比較的健闘した部類」

と勝手に捉えています

 ダウンロード数が今回1000を越えた要因は2つで

1つはSNSの利用

もう1つはKindle無料ランキングです

 

特にkindle無料ランキングの存在は大きく、このランキングがなければ

拙著のダウンロード数はほとんど伸びなかっただろうと思います

 

kindle無料ランキングを閲覧している読者は現時点で相当数おり、

ランキング10位以内に入っていれば、

1日に100ダウンロードほどは確実に見込めるというのが今回の体感です

 

ここで問題になるのは

「無料ランキングにはどのくらいでランクインするのか」ですが

ここに関してはやはり前回の記事で触れており

1日100ダウンロードがひとつの目安となると思います

 

つまり何らかの手段を用いて「1日100ダウンロード」を達成すれば

kindle無料ランキングに載り、ランキングに載りさえすれば

しばらくはダウンロード数の伸びが見込めるということです

 

「じゃあそもそもはじめの『1日100ダウンロード』はどうやって達成するの」

というお話なのですが

 

これは現状ではブログとSNSを活用する他ないと思います

 

きんどるどうでしょう

つんどく速報

が拙著を紹介してくださった時にはかなりDL数が伸び、

両サイト様には本当に感謝の念でいっぱいなのですが、

基本的には

「自分でめげずに広報しなくてはいけない」

と考えた方が良いと考えております

 

たまたま自分は人様の迷惑になるくらいSNSを利用しているの

その延長上で宣伝ツイート等をしていたわけですが、

作家たち全員がこれを強いられるのが今の電子書籍業界なのではと思います

 

一言で言えば「営業」と「宣伝」が弱すぎるわけですね

 

そんなわけで今の電子書籍業界で売れる本は

「売れているから売れている」

ということになります

 

ランキングに入れば売れますが、ランキングから落ちるとぱたりと売れなくなります

 

そしてランキングに入るための営業は誰かがやってくれるわけではないので、

自分がSNSとブログを通して行わなくてはいけない

 

ここで有料になってから自分の本が売れなくなった理由を分解すると

①ランキングに載っていない

②お金までは出したくない

③購入の手続きが面倒

 

の3つになるかと思います

 

①はこれまで説明した通りですが

②に関してはこれもけっこう心にクる問題で

知り合いでも面と向かって「無料なら買う」と言ってくる方っているわけです

(一度でも物を作って売ったことがある方々はこの台詞を全く言わない気がします)

かなりヘビィな問題なので②に関してはまた別途記事を書きます

 

③に関しては最近は少しずつ改善されていますが

ちょっとハードルになっていると思います

年齢層が少し上になればクレジットカードを持っている方は多いので

難なく購入してくださるのですが

学生の場合クレカを持ってない方はもちろんいて、

そうなると代引ができないkindle本の購入は

Amazon商品券」をご利用いただく他なくなります

最近は「Amazon商品券」を置いているコンビニがかなり増えたので、

それでもハードルは下がってきたのかなぁとは思います

 

ということで色々書いてきましたが

 

KDP作家として自分の本をたくさんの方に読んでもらうためには、

作家であると同時に営業マンでなくてはいけないということを身に沁みて感じます

 

実際ここまで書いてきて、今日話している内容ってほとんど

出版社かコンサルタントが話す内容なわけでちっとも作家ぽくないわけです

 

前回と今回の件で、電子書籍専門の出版社があり、そこが販促などに協力してくれればどれだけ助かるだろうと思ったため、本気でそういったものを作ろうかと頭の隅で考えているのですがそのお話はまた次回です

 

今回全然本の内容のお話していないのですが

この本に込めた気持ちは数日前のブログに書きなぐりましたので

ぜひそちらをチェックいただいて

もし興味がありましたら

購入していただけるととても嬉しいです

 

脱水少女

脱水少女

 

 

以上、KDP作家・根本聡一郎からの現地リポートでした

父さんな、無敵な物語を書こうと思うんだ

 

 

どうも

 

ネタで「おじさん」を一人称にしていたら肝心な場所で「おじさん」が出るようになってきた僕です

 

癖はヤマイダレとか言いますけどなかなか治らないのでおそろしいです

 

 

今日は物語の話です

 

実は先日、『脱水少女』という物語を書き終えました

 

「○○症状」の「症状」を「少女」にしてくと可愛いし色々乗り切れるという信念のもと『幻覚少女』という幽霊の物語を書き、今回はその流れで『脱水少女』という物語を書いたわけですが、もう次あたりで少女系はネタ切れかなと思いまして少女三部作を『少女症候群』みたいな名前でひとつの本にしようなんて思ったりしてます

 

次の少女は『更年期少女』です

みなさんお楽しみに

 

でまぁ上の話はだいたい嘘なんですけど

 

まがりなりにも物語を書くようになって思うことは

作る側に回ると世界の解像度が上がるということです

 

今までは何気なく消費していた食べ物・建築・物語など

生活を形作るたくさんのものの

細かい部分に目がいくようになったなと

 

その「解像度」とか「細かい部分」の正体って

要するに生産工程だと思うんですね

 

「何かが出来上がるためには、その何かを作る人が必要だ」という

当たり前の事実にやっとまともに気づくようになったという今日このごろです

 

で物語を作るようになったということで

他のものより物語に目がいくようになったのですが

これは僕の目につくだけなのかもしれないですけど

不倫と殺人が起きる物語って多いですよね

テレビで流れる物語なんかは特に

 

僕『明日、ママがいない』てドラマ大好きで毎週見てるんですけど

なんかクレームでスポンサーとか全部降りちゃったらしいですね

悪影響だなんだって話で

 

おんなじような時間にガンガンやってる

主人公が不倫するドラマとかはOKなんですかね?

全然悪影響ないんですかね?

その線引きってなんなんでしょうね

 

個人的に不倫だ何だって話が大嫌いだからってのもあるんですけど

なんだかモヤモヤするなぁと

 

サスペンスドラマではガンガン人が死にますよね?

30分につき1名くらいのハイペースで

あれは悪影響ないんですかね?

火曜サスペンス劇場

「殺人は良くないと思います」

ってクレームを入れてくれてた主婦はいたんですかね?

 

もしかしたらそういった活動を草の根的にやっていた方々がいて

それで火サスが終わったって可能性もなくはありませんけど

 

でまぁ

個人的にはこんなことを考えているので

不倫とか殺人とか書きたくないんですね

誰かが悲しいじゃないですか

主に主人公側じゃない人たちがね

 

でそんなことを考えていくと

「敵」って可哀想じゃないか?

と思うようになってしまって

 

バイキンマンとか毎日のように例の彼に暴行を受けて

それでも諦めずに立ち向かってきていて素直に

「健気だな」

って思ってしまうんですね

 

だから気づいたら

悪役が作れなくなっていたんですよ

 

「悪」ってよくわかんねぇなと思ってしまって

 

この前もそういうことがありましたけど

あまりにも大きすぎる「障害」が僕らの前に立ちはだかることって必ずあって

そうなった時に人間側に敵なんていないだろうよと思うんですね

そりゃあぱっと見は敵っぽいのもいますけど

よくよく考えれば敵じゃないはずで

 

「病」とか「天災」とか「事故」とか

どうしようもない「理不尽」ってあるじゃないですか

だから僕は

そういう理不尽にみんなが立ち向かって克服する物語を作りたいと

生意気にそんなことを思いました

 

甘っちょろい考えだというのは分かってるつもりです

それだけで続けるのは大変だろうし

「世の中そんなに甘くない」

という定型文が返ってくるのも目に見えてますけど

物語の中でなら、それが通っていいだろうと思うんですね

甘い世の中が

正直者が馬鹿を見ない世の中があっていいと

そういうふうに思うんです

 

そういう思いを込めて

今回も物語を作りました

 

 

誰もやっつけないので、面白くないと思う方もいると思います

ただそれでも、僕の物語は「無敵」でいこうと思ってます

甘ったれたクソガキの書いた話ですが、良かったら読んでみてください

 

 

脱水少女

脱水少女

 

 

 

 

追伸

次の物語のほんとの名称は『禁断少女』です

 

福島県川内村の現状について

 

どうも

 

久々のブログ更新です

 

今回は少し真面目な話を

 

今日は「東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)」の福島での現地会議をUstream配信するためにビッグパレット福島へ向かいました

 

ここを訪れるのは「とみおかこども未来ネットワーク」のシンポジウムを聴きに来て以来2回目です

実家にいる頃はだいたい日曜の昼間油断してるとビッグパレッドふくしまでのイベント情報がCMで流れていたのですが、郡山だったのでいわき市民の僕には若干縁遠い場所でもありました

 

今回の「現地会議in福島」では、様々な支援団体が仮設住宅から次の住居への移転の中で生じている課題などについて報告していたのですが、緊急でどうしても現状を報告したいという団体があり、急遽2日前に登壇することが決まったその団体の話をお聞きすることになりました

 

その団体は福島県双葉郡川内村から避難してきた志田篤さんという方が代表をしている「昭和横丁」というNPOで、川内村の方のみで構成されているということでした

 

志田さんは川内村の現状について詳しく説明してくれました

 

 川内村は2011年3月16日に原発事故を受けて村外へ避難した後、今日の会場だったビッグパレットふくしまを含む避難所での生活の後、2012年に遠藤町長が帰村宣言を発します

しかし「可能な村民は帰村する」という指示だったため、2013年12月現在、帰村者は1455名(52%)、村外の借り上げ住宅に住んでいる人々が約1600名、村外の仮設住宅に住んでいる方々は680名程とのことでした

 

志田さん自身は郡山の仮設住宅に住んでいるということで、今回の報告は、この川内村の方々が住んでいる郡山の仮設住宅に関することでした

 

 帰村した方々、借り上げに住んでいる方々にもそれぞれ課題はあるのですが、なかでも仮設住宅に住む方々は無雇用者、障害者世帯など無収入・微収入者が多く、ほとんどの方が80歳を超えているということでした

 

志田さんは

「多くの人には伝わっていないが、原発から20~30km圏内の広野町川内村の人々への精神賠償は2013年8月に打ち切られており、

今も仮設住宅に住む人々は現在は家賃の心配はないものの、これから復興公営住宅に移り、家賃が発生すると、本格的に生活に困窮してしまう」と訴えていました

 

志田さんの前には「3.11被災者を支援するいわき連携協議会」理事長の長谷川秀雄さんが報告をされていたのですが、その報告の中には、

いわき市民と原発事故避難者との間に大きな軋轢が生じており、先日は原発事故避難者が住む仮設住宅に花火が打ち込まれるという出来事があった」

という衝撃的なものがありました

 

長谷川さんの報告でさらに驚いたのは、「3.11被災者を支援するいわき連携協議会」では「第1回紛争解決講座」という勉強会を設けているという話でした

協議会では、いわき市民と原発事故避難者の軋轢を「紛争」と捉え、海外で難民問題の解決などにあたった講師の方を迎えて、講座を開いているのだそうです

 

講座は盛況で、地元の若い方々なども含め、40人以上の方が集まったとのことでした

 

悲しいことですが、いわき市民の一部は原発事故からの避難者たちに

「うちの市に税金払ってない」

東電から補償でたくさんお金をもらってる」

というイメージを持っていて、それが軋轢の原因になっています

実際に、鹿島街道のあたりの飲食店は、震災があって1年ほどの頃から平日も混雑するようになり、「避難者の人が毎日のようにいる」という話を僕自身聞いた事があります

「金銭的差別は簡単にコミュニティを破壊する」という一節がマッキーバーの『コミュニティ論』の中にありますが、現在のいわき市ではまさにそのような状況が起きています

 

僕自身、原発事故で避難を余儀なくされていた川内村の住民の方も、お金には余裕があるのだと勝手に思い込んでいたのですが、志田さんのお話を聞いて、全くそんなことはないのだということを思い知ることになりました

 

川内村に住んでいる頃には自分の先祖代々の家とお墓を持ち「家賃を払う」という行為事態、想像もしていなかった高齢者の方々が、仮設住宅から復興公営住宅へ移ると、決して多くない年金の中から家賃を払わなくてはいけなくなります

 

帰村できるのだから家に戻ればいいのでは、という声もあるかと思いますが、村民が半分しか戻っていない現状、村では十分な医療・福祉が受けられないのではという不安が現在仮設に住む方々にはあるそうです

 

志田さんは「これから川内村には二度目の試練が訪れます」とお話していました

 

見た目の上では復興が進む震災から2年9ヶ月目の今、志田さんの仮設住宅では防寒具を購入するお金すら困っている方がいらっしゃるそうです

 

イベントの後、志田さんにお話を伺いに行ったところ、特に「米」と「野菜」そして「防寒具」が不足しており、もしお願いできるのであれば、ぜひその物資支援を行ってほしいとのことでした

元々川内村は農業が盛んで、普段から野菜をよく食べていたので、今は急に野菜を摂らなくなった分、栄養バランスが非常に悪くなっているということでした

 

防寒具はセーターのような防寒着から、ホッカイロなど、本当に些細なものでもありがたいということです

 

震災というのは本当に理不尽なものだと思います

今まで正直に生きてきた川内村の人々が、震災によって人生を翻弄され、このまま原発事故を恨みながら人生を終えていくとしたら、そんなことはあんまりじゃないかと思います

 

同時に、同じ福島の人たちが「補償金」という問題で反目しあっているという状況も本当に辛く、なんとかしたいと思います

 

 

これから、周囲からお米と野菜と防寒具を集めて、直接川内村に持っていこうと思います

僕はいわきの出身です

いわきの人間から物資が届けば、「いわきの人らみんなが自分らを嫌ってるわけでないんだ」「世の中捨てたもんじゃねぇべ」と川内の人たちにも思ってもらえるのでは、と思います

 

もしこの文を読んで、川内村のために何かしたい、物資提供をしたいという方がいらっしゃいましたら、ぜひ私まで連絡をいただけるとありがたいです

ご連絡、ご質問は下記のGmailか、Twitterアカウントまでいただければと思います

nmtsicr@gmail.com

@Nemo_patitur

 

物資は責任持ってお届けします

 

震災は2011年3月11日にはじまって、現在も続いているのだと実感した一日でした

 

自分にできることを、まずはやってみようと思います

 

※追記

みなさまからいただいた支援物資を届けに、川内村へ行ってまいりました。

お米や生活用品を届けてくださった皆様、本当にありがとうございます。

志田さんによれば「ネットで川内村のことを知った」という方から多くの物資が届き、

この冬を越すには十分な物資が揃ったとのことでした。

改めて、感謝申し上げます。

 

訪問の際に、許可をいただいて動画を撮影し、自分が理事をしているNPOのアカウントで、志田篤さんのインタビューを公開しました。

川内村の厳しい現状が、当事者視点で語られています。

是非多くの方にご覧いただければと思います。

www.youtube.com